旅色で紹介されました

由緒

仁和2年 (西暦886年) 香川県の国司に就任していた菅原道真公は、42歳の厄除けの神事と菅原家の繁栄を祈り、当時の古社でご祈願されました。

また、この地の景勝をことのほか好まれ、えげ郷に4郡 (那珂郡,多度郡,三野郡,豊田郡) を管轄する国府の支庁を置きました。そばにあった国学の禅宗の学寮でお釈迦様をお祀りすると「顕正院 」と呼ばれるようになり、仁和3年 (西暦887年) から政務と共に 病で苦しむ人々を救われました。

寛平2年 (西暦890年) 任期を満了し別れを惜しまれた道真公は、その翌々年自らの神像を刻まれ家臣にお授けになられます。

道真公が薨去された延喜3年 (西暦903年) 小さな祠を造営し、賜りました神像をお祀りしました。延喜3年創祀より、代々の藩主 (綾氏,藤原氏,生駒氏,山崎氏,京極氏) および故郷の人々の寄進により鎮まり給うお社でございます。